年代 |
月日 |
年齢 |
主な出来事 |
1755 |
11. 2 |
0 |
マリア・テレジアの末娘としてウィーンのシェーンブルン宮に生まれる。
(三万人の犠牲者が出たリスボン大地震の日) |
1763 |
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8 |
フランス王太子ルイ・オーギュストの結婚相手の候補となるが、フランス側は慎重に対応する。 |
1765 |
8月 |
10 |
父フランツ・シュテファン、インスブルックで次男レオポルトとの結婚式の最中、発作を起こし他界。 |
1767 |
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12 |
ルイ15世の孫ルイ・オーギュストとの結婚話が進み始める。 |
1769 |
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14 |
フランスからようやく、王太子妃養育係が派遣される。 |
6月 |
正式な結婚の申込み受ける。 |
1770 |
5.16 |
14 |
王太子ルイ・オーギュストと結婚。 |
1773 |
6月 |
17 |
王太子とともにパリを訪問。民衆の熱烈な歓迎を受ける。 |
1774 |
1.30 |
18 |
アクセル・フォン・フェルセンと初めて会う。 |
5.10 |
ルイ15世の崩御に伴い、国王ルイ16世がフランス国王となる。 服飾商ローズ・ベルタン嬢、王妃の服飾、髪型の相談役となる。 |
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プチ・トレアノンを手に入れる。 |
1775 |
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19 |
ランス大聖堂でルイ16世の戴冠式。 |
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ポリニャック夫人への寵愛、宝石・賭博好きが目立つようになる。 |
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アメリカ独立戦争が始まる。(1775-1783) |
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ルイ16世からプチ・トリアノンを贈られる。 |
1776 |
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20 |
テュルゴー財務総監を罷免。 |
1777 |
4月 |
21 |
長兄のドイツ皇帝ヨーゼフ2世来訪。ルイ16世、手術を受ける。 |
1778 |
8.12 |
22 |
第一子の王女(マリー・テレーズ)を出産。 |
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フェルゼンと親しく付き合うようになる。 |
1780 |
11.29 |
25 |
マリア・テレジア死去。 |
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プチ・トリアノンに小さな劇場を作り、自ら舞台に立つ。 |
1781 |
10.22 |
第ニ子の王太子(ルイ・ジョゼフ)を出産。 |
1783 |
4月 |
27 |
アメリカ独立戦争に参加していたフェルゼンが帰国。 |
1785 |
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29 |
第三子の第二王子(ルイ・シャルルのちのルイ17世)出産。 |
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首飾り事件が表面化。 |
1786 |
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30 |
首飾り事件裁判。 |
7月 |
第四子の第二王女ソフィー出産(翌1787年に結核で死亡)。 |
1787 |
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31 |
プチ・トレアノンの庭園を拡張した村落「アモー」が完成。 |
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凶作により、社会不安が高まる。 |
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財務大臣の人事にかかわるなど、国王に対し、政治的な干渉を行うようになる。 |
1789 |
5. 5 |
33 |
ベルサイユで三部会が開かれる。 |
6.3 |
王太子、死亡。 |
6.20 |
国民議会の議員によるテニスコート(ジュー・ド・ポーム)の誓い。 |
7.11 |
財務総監ネッケル解任 |
7.14 |
パスティーユ監獄を襲撃 |
10.5 |
女性を中心とするパリ群集と国民衛兵がベルサイユ行進。 |
10.6 |
国王一家、パリに到着。国王と議会はチュイルリー宮殿に入る。 |
1790 |
7月 |
34 |
革命進行の阻止を図るミラボーと会見。 |
7.14 |
連盟祭に出席し、民衆の歓呼を浴びる。 |
1791 |
4. 2 |
35 |
ミラボー死す。国王夫妻はパリを脱出するという考えに傾き始める。 |
6.20 |
国王一家、パリから逃亡(ヴァレンヌ逃亡事件)。 |
6.21 |
バレンヌで逮捕。人民の捕虜としてパリに連れ戻される。 |
1792 |
6.20 |
36 |
パリの民衆、テュイルリー宮殿に侵入。 |
8.10 |
パリ民衆と連盟兵チュイルりー宮殿を攻撃。 夜 議会が国王の権利停止を宣言。国王一家、タンプル塔に幽閉。 |
12. 4 |
37 |
国王の裁判問題。 |
1793 |
1.21 |
ルイ16世処刑される。 |
7. 3 |
ルイ17世と引き離される。 |
8. 2 |
特別法廷移管のため、コンシェルジュリー牢獄に移送。 |
8月〜 9月 |
騎士ド・ルージュヴィル、王妃救出に失敗。闇牢に移される。(カーネーション事件) |
10.12 |
マリー・アントワネットの革命裁判(予審)。 |
10.14 〜16 |
裁判。 |
10.16 |
昼、国費を浪費した件で処刑。 |
1815 |
1月 |
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遺体発掘。 |
1826 |
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パリ第八区に贖罪礼拝堂建立。 |