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マリリン |
アメリカ文化・社会 |
1926/6/1 |
LAにて誕生。ノーマ・ジーン・モーテンセンと名付けられる。
母はグラディス・モンロー・ベイカー。父親は不明。
ボレンダー家に預けられる。 |
ヘミングウェイ「日はまた昇る」刊行 |
1929 |
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10月 NYウォール街で株価の大暴落
大恐慌時代が始まる |
1935(9歳) |
「LA孤児ホーム教会」に引き取られ、1年9ヶ月過ごす |
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1937(11歳) |
法的な保護者となったグレイス・マッキーに引き取られ
グレイスの叔母 アナと暮らす。 |
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1939 |
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9月 第二次世界大戦が始まる |
1941 |
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12月7日 真珠湾攻撃
太平洋戦争が始まる |
1942(16歳) |
6月 ロッキード航空機工場に勤める
ジェイムズ・ドアティと結婚 |
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1944(18歳) |
夫ジェイムズの海外駐在中、航空機部品工場で働いていて
陸軍報道部員の写真のモデルとなり、ピンナップ・ガールの
道を歩み始める |
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1945 |
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8月 日本がポツダム宣言受諾
第二次世界大戦 終結 |
1946(20歳) |
8月 20世紀フォックスと契約 芸名「マリリン・モンロー」
9月 ジェイムズと離婚 |
3月 チャーチル ミズリー州で
「鉄のカーテン」演説。冷戦激化 |
1947(21歳) |
2本の映画で端役出演するが、20世紀フォックスに
解雇される |
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1949(23歳) |
20世紀フォックスと再契約
5月27日 トム・ケリー撮影のカレンダー用ヌード写真の
モデルとなる |
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1950(24歳) |
「アスファルト・ジャングル」
「イヴの総て」 に出演 |
朝鮮戦争勃発 |
1951 |
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サンフランシスコで対日講和条約調印
サリンジャー「ライ麦畑でつかまえて」刊行 |
1952(26歳) |
評判の「ヌード・カレンダー」のモデルがマリリンと分かる
「ノックは無用」 に出演 |
ヘミングウェイ「老人と海」刊行 |
1953(27歳) |
初主演「ナイアガラ」がヒット
「紳士は金髪がお好き」
「百万長者と結婚する方法」 に出演
「フォトプレイ」誌の最優秀女優賞を獲得
6月 ハリウッドのグローマンズ・チャイニーズ・シアターの
前に手形を押す
12月 「プレイボーイ」創刊号の表紙とグラビアを飾る |
アイゼンハワー大統領就任
オードリー・ヘップバーン「ローマの休日」 |
1954(28歳) |
1月 ジョー・デマジオと結婚
2月 新婚旅行を兼ねて来日
朝鮮戦争出征中のアメリカ兵慰問のため韓国へ
9月15日 「七年目の浮気」でスカートのめくれるシーン撮影
10月 離婚を申請
「帰らざる河」
「ショウほど素敵な商売はない」 に出演 |
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1955(29歳) |
1月 NYで「マリリン・モンロー・プロダクション」設立
3月 NYで「アクターズ・スタジオ」入門 |
キング牧師指導のもとに黒人差別反対の
バス・ボイコット運動が始まる
メイラー「鹿の園」刊行 |
1956(30歳) |
6月 アーサー・ミラーと結婚
「バス停留所」 に出演 |
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1957(31歳) |
「王子と踊り子」 に出演
8月 流産 この後、多分最初の自殺の試み |
ソ連が人工衛星「スプートニク」打上げ成功
米ソ宇宙開発競争が激化 |
1959(33歳) |
「お熱いのがお好き」 に出演 |
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1960(34歳) |
「恋をしましょう」
「荒馬と女」 に出演 |
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1961(35歳) |
1月 アーサー・ミラーと離婚
2月以降、精神病院その他の病院に入退院を繰り返す |
ケネディ大統領就任
「ニュー・フロンティア」政策を発表
オードリー・ヘップバーン
「ティファニーで朝食を」 |
1962(36歳) |
1月 LA郊外のブレントウッドに家を購入
4月 「女房は生きていた」撮影開始
5月19日 NYでケネディ大統領の誕生祝賀パーティ出席
「ハッピー・バースデイ」を歌う
6月 7日 20世紀フォックスから正式に解雇される
8月 5日 午前3:50に睡眠薬多量摂取による死亡確認
8月 8日 ディマジオの手で簡素な葬式が執り行われる |
キューバのミサイル危機回避
ヴェトナム戦争への本格介入始まる |
1963 |
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8月 人種差別撤退の「ワシントン大行進」
11月 ケネディ大統領暗殺 |