るうの
★陰陽道プチ知識★

第二回

こんにちは、まずはお茶でもどうぞ〜 _旦~~

前回のプチ知識はいかがでしたか? 
陰陽道について調べれば調べるほど奥深く、そして私ごときの脳みそでは理解できなくなってきていますたすけてドラ○も〜ん(涙)

そんなわけで、2回目は日蝕について。
古来より、中国では太陽は君主の象徴でした。そのため、日蝕時に国家行事が行われれば君主の尊厳が傷つけられ、やがては臣下によって国が滅ぼされる前兆となる、と言われていました。
そのため、日本でも暦博士が日蝕の予定日を計算し、天文博士がこれを観測して密奏(密奏については次回!)を行う規則が成立しました。暦博士が毎年元旦に陰陽寮に予想日を報告し、陰陽寮は予想日の約1週間前までに上に報告し、当日は国家行事や一般政務を中止したとされています。ていうか、昔ってお正月でも働いてたんですね!現代人でよかった。。。
日本書紀などの歴史書には多くの日蝕記事が掲載されていますが、実際には起こらなかった日蝕も多かったようです。
ただ、これはちょっとしたカラクリがありまして、日蝕を重要視する背景から、あらかじめ多めに予想したものがそのまま記事になったためだそうです。
実際に畿内で観測可能な日蝕については、奈良時代・平安時代前期の日蝕予報とほぼ正確に合致しています。すごいですよねー、一体どうやって計算してたんでしょうね
なお、暦書を私的に持つことは厳しく規制されていたそうで、この時代は暦というのは国家機密だったんですね〜。確かに、日蝕が起こる日に合わせて反乱起こされても困りますもんね
ちなみに、さすがの暦博士も複雑〜な惑星の軌道の計算はうまくはできなかったようで、事後報告っぽいものが多いとか…(^^;

では、また★

byるう

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