演出コメント

何をなくしてしまったのか?

何をなくしてはいけないのか?

 

パパラッチに追われ、写真を撮られ、プライバシーを奪い取られた彼女に

私たちは何をしたのか?

ただ、傍観して責任をとらないでいい場所で、ぬくぬくとそのニュースに

耳を傾けていたのではなかったか?



……それがだめなわけじゃない……

愛するがゆえにその人を知りたいという気持ちは人の最も尊い行為だと思う。

……しかし、極論を言うなら、「そのため」にダイアナ元妃は死んだとも

いえるのではないだろうか?



……ダイアナ元妃の事故のニュースを聞いたとき、

「彼女は伝説になるべく選ばれてこの世に生を受けた人なのだろう」と思った。



おとぎ話そのままに華麗な結婚式、望まれた2人の王子の誕生……

離婚、そして若すぎる事故死……すべてが華麗でドラマチックな彼女の人生は

幸せなラストを迎えるおとぎ話よりも、更に更に劇的に感じられる。

 

ひと頃、「ダイアナ元妃は英国王室に暗殺されたのではないか?」などという記事が

話題になったことがあるが……真実は闇の中で、もうそれを完全に立証できることは不可能だろう。

しかし「誰が殺したのか?」という疑問をよく考えてほしい。

実際に事故の状況がどうであれ、世界の人がダイアナに興味を持ち

それをお金に換えたいマスコミが群がり……ダイアナはその渦中で亡くなったのだ。

 

この舞台の企画が持ち上がったとき、実は私は気乗りがしなかった。

なぜなら、ダイアナ元妃の事故死はほんの10年ほど前の生々しい事実であり

あれほど多くの写真が残り、関連の映画が作られ、本が出版されている。

舞台にしたところで、何を訴えることができるのだろう……と。

しかし、現代の「社会不安」「世界危機」といわれる状況の中で、

彼女の存在がいかに大きな夢や希望を多くの人にもたらしたかということ、

そのために彼女は死んだということ……多くを考えてほしいと

私の中に様々な思いが生まれてきた。

 

……この舞台を創るために、ダイアナについて、多くの本を読み

映像や写真を見た。まるで、自分がパパラッチになって彼女を

追い回しているかのような、錯覚に陥った。

ダイアナという人物に興味がわき、知ろうとするほどに

彼女がいかに多くの写真をとられ、プライバシーを剥ぎ取られ

裸にされていったのか……胸が痛くなった。

 

私たちは愛し合って生きていかねばならない。

思いやりや深い考えを持たずに一人歩きする、「群集心理」の恐ろしさを

他人事と捉えてはいけないと思う。

自分の身近にいる人たちを、新たな気持ちで愛しなおしてほしいと思う。

その先に通じるものの総称が「平和」であり「人間愛」なのだ。

 

昨今、「エコ」という言葉をやたら、耳にするようになった。

自分に危機が迫ってきたのを知って、はじめてその大切さがわかってくる。

「ケア・ビジネス」が成長し始めている。

高齢化が始まり、誰にとっても他人事ではなくなってきたからだ。

現実に不安や恐怖を目の前にして、初めてわかることが多い。

人はそんなふうに愚かだからこそ、愛おしいのかもしれない。

 

私たちは、ダイアナ元妃を失った……

失くしたものは何だったのか?

何をなくしてはいけないのか?

 

これ以上、大切なものを失くす前に、もう一度「愛」について考えてみてほしい。

演出コメント