「北天幻桜」と言う舞台
     〜 演出家のモノローグ (第2回)〜

(演出家・中野圭子)

今回、役者連に最初に話した演出プランは

「塩キャラメルのような作品を作る」だった。

皆、不思議そうな顔をしていたが本番を間近に控え

そのニュアンスが彼女らに伝わってきた事を感じる。



「幕末〜明治」と言うのは実に奇妙な時代である。

サムライ・芸者の時代から一気に外国の文化が入り込み、全てが短期間で激変している。

その変わり目に一瞬のバランス感覚の揺らぎ感じる。

洋装にちょん髷の武士や、どこか和の風合いの残る洋装の女性、

見た目のみならず、思想や習慣までの大きな変革を当時の人達はどう捉えたのだろう?

「過去」「現在」「未来」の縮図を一度に見ることの出来る実に不思議で貴重な時代だと、

このミスマッチに心引かれる大きな魅力を私は感じている。



「音楽」についても同様、三味線や歌舞が根付いているこの時代の日本と同じ頃、

リストに影響を受けたであろうドビュッシーが近代音楽への流れを導く曲を作曲している。

今回の演出において一見、作品の路線と無縁と思えるこの時代の洋楽を使用してみたら、

このミスマッチの中に不思議な世界観が生まれた。

やはりこの時代は世界的に何かが変革する時期だったのだろうか。



昨今、「ミスマッチ」が流行している気配がある。

「塩キャラメル」なんてナンセンスとも思えるお菓子が店に並び、

ポテトチップスにチョコをコーティングしたり、

ハンバーガーなのにメープルシロップが入っていたり…

はじめは「!???」と思うのだが、試してみると絶妙のバランスにうならされる。



誰しもがそれは絶対に合わないだろうと思えるからやっていなかった事、

そんな作品を「幕末〜明治」という不思議時代をモチーフに作ってみたくなった。



「新選組モノ」といえば多くの俳優が登場して、隊列を組んだり派手な立ち回りがあったりする。

そんなありきたりな舞台表現ではなく、そんな浅いメッセージではなく、

奥深くに隠れている「人間の生き死にと絆」をこの時代で描きたい。



「歴史を作ってきたのは人間だ」と言う事。



皆、現代の私達と同じように泣き笑い、五感を持つ人間がその心で感じ、行動し、

作り出し積み重ねてきたものが今日「歴史」と呼ばれているのだ。

決してフィクションの中のヒーロー達ではない。



「北天幻桜」の中には3人の俳優しか登場しない。

しかし、その中の登場人数は数百人、数千人単位の感触を感じている。

空間に出現する過去の人達の瞬間の想いは「俳優」を媒体として舞台に舞い降りてくるだろう。

「土方歳三」という人物の中に多くの人間を見るだろう。

なぜなら、人は必ず多くの人に囲まれて生きているからだ。

自分が多くの人に囲まれて生きていることを再認識して欲しい。

「歴史」の積み重ねの中で「今」を生きている自分を感じて欲しい。



この舞台を観終わった後、チョココーティングのポテトを食べながら桜を見上げ、

ベストシーズンの「花見」を楽しんでいただきたいと思う。