「北天幻桜」と言う舞台
     〜 演出家のモノローグ (第1回)〜

(演出家・中野圭子)

「北天幻桜」は歴史モノローグシリーズでは

私の演出特有の舞台表現を取り入れているため

役者連は日頃からの肉体訓練が必要になる。

その為、一つのジャンルしか理解出来ない普通の役者には

演じることが出来ない。

今回出演する役者陣はそのあたりに精通している為、

大変感謝していると共に、今後も鍛錬に励んで欲しいと切望している。



「新劇」「海外戯曲」「ミュージカル」をはじめとする「演劇」における全ての知識と実力、

また「バレエ」から「モダンダンス」に至るまでの基礎力、

性別を超えて演じ分けのできる演技力、思考力、観察力はもとより

「音楽」を感じ取れる感性と聴力、時には歌唱力も要求される。

一見シンプルなようにみえる私の「歴史モノローグ」作品は

実は舞台表現の全てを取り入れる事で独特の世界観をかもしだしている。



「マリー・アントワネット」の時はバレエ的要素が強く、

照明をまったく使用しない独特の白い空間作りで

役者の力量を空間の中に置くだけで

ロココの華やかさや歴史の重みを出すように要求したし、

「マリリン!」の時は実際のバーラウンジを舞台として使用し、

演技とジャズヴォーカルをコラボさせ

「人生」を浮き彫りにするために空間にマッチした

「自然な演技」を「不自然な様式美」と共に要求させていただいた。



今回は「土方歳三」と言うことで、

当然刀を抜くシーンもあるから殺陣の素振りは必須。

肉体訓練も必須。その上今回はモダンダンス的表現

…ただ「歩く」だけでも、そこに空気を感じ意味を持たせて動く事を要求している。

その上今回の表現空間を何層にも変化させ、

何か「大いなるもの」に向かう意味を感じて演じる事を要求している。

言葉でセリフを言いながら、「過去」「現在」「未来」

「生」「死」と言った自然界の絶対の理を感じつつ

モダンダンスを踊ってもらう感じだ。

役者各人は大変だと思うけれど、本番に向かって

全力で稽古に励んで欲しい。



また、今回は照明が入る事でその独特世界はより強力に表現されることになるのだろう。

照明の結城氏は脚本の奥にある思念を真剣に模索し、

イメージを練り上げて、タイミングを逃すことなく

多くの照明キューを駆使してその独特な世界観を作る作業をしてくれている。

以前も一緒に作品作りをしたが、彼のセンスや情熱は大変素晴らしい。



本番でどのように彼が空間を変化させ、舞台空間と人間がコラボするか

演出の私が一番楽しみにしているのかもしれない。



「なぜ女性が演じるのか?」とよく聞かれるが

世の中は男と女がいてこそ成り立っている。

その「当たり前」の中に想像される「肉体の物質感」は

「精神」を純粋に描ききりたい今回の私の作品にとって邪魔なものでしかない。

もちろん時には男性を使ってこそ素晴らしい作品もあるので、

決して女性のみを使って作品を作ることに固執している訳ではない。

今回の舞台において「肉体」を感じさせる「男」と「女」の構図より

「純粋」な「精神的理念」を際立たせたいが為、

女性のみの構成で作品を創造している。

男性諸氏にとっては、気の悪い話かもしれないが、

寛大な心を持って、今回はご容赦願いたい。



先日の山南忌にメンバーが出演した際、

「新選組」を愛する人の熱さに驚いたと言っていたが

その情熱はどこから来るのだろうか?

「新選組」はなぜ人をそこまでひきつけるのだろうか?

現代日本において、マニュアル化された生き方を強いられた人達の叫びと私は捉えている。

「歴史」はそんな現代人の生き方に警鐘を鳴らしていると思う。



あなた達は思いのままに生きていい



そう思うことからこの作品の構想が始まった。



しかし、「新選組」や「幕末」という歴史に魅せられた私達は

時にその情熱にのみ捕らわれ、その奥にある奥深さや思いの細やかさ、

人としての優しさを忘れている時がある。

過去に想いをはせる者は「素直」でなくてはならないと思う。

人として深い想いが持てない者に「歴史」を語る資格はない。

「あの歴史的事実はどうだ」「あの表現は嫌いだ」

そんな事を感じウンチクをたれるよりも、

自分達各々がその想いを受け入れ、

自分の生き方を快適に心躍らせる為のエッセンスにしていってほしい。



歴史モノローグシリーズ「北天幻桜」の中に込めた人としての理想の生き様を

観る人全てが「素直」に感じて自分の生き方を省みて欲しい。