るうの
★陰陽道プチ知識★

第九回


みなさまこにゃにゃちわ〜
お盆休みも露と消え、だんだんと涼しくなって。。。きてるんでしょうかねえ。。。いやいや、でも朝方はずいぶんと過ごしやすくなってきてるぞ、と己を慰めつつ。
もうそろそろオリンピックも閉幕ですね〜。
皆さんは何をご覧になられましたか? ちなみに私は、開会式のサラ・ブライトマンを超!ピンポイントで見ました。多分彼女が出てなかったらオリンピックはオールスルーだったことでしょう。。。(^^;

さて、今回はずばり、有匡サマの名字でもある「土御門」についてお送りしようと思いますo(^▽^)o♪
陰陽師、というと必ず出てくるのがかの「安倍晴明」ですが、実は土御門家はその子孫なのです!
安倍晴明は、お師匠様である賀茂忠行・保憲父子にその才能を見いだされ、天文道を伝授されたといわれています。その後、陰陽道(陰陽寮?)は実力主義ではなく世襲制になったため、暦道は賀茂家、天文道は安倍家が独占し、陰陽道は秘伝の技として他の人々には伝えられませんでした。歌舞伎の○○家みたいな感じでしょうかね。え、違う?
安倍家の子孫は天文博士、陰陽博士、陰陽頭等の職につくものが多く、天文博士と天文密奏(忘れた方は3回目をチェキ!)のことは、安倍家が独占しました。
こうして賀茂・安倍両氏の陰陽道宗家としての伝統は確立し、摂関家その他の公家や後宮に奉仕することによって、その権威が維持されました。
鎌倉時代には内部分裂などもあり衰退していたようですが、南北朝時代に再び勢いを盛り返し、足利義満の後ろ盾があったとされる安倍有世は、公卿の仲間入りを果たしました(従二位)。その有世、あるいはその曾孫にあたる安倍(土御門)有宣(室町時代中期-後期)以後から名乗り始めたとされています。
江戸時代には賀茂家のお家芸であった暦道も吸収し権勢をふるいましたが、明治時代になり、近代国家を目指す、という政府の思惑により土御門家はその役目を終えることとなりました。

ちなみに土御門の由来ですが、代々の当主の屋敷が土御門の地にあったことから、「土御門」を名乗る事となったそうですよ

では、また★


byるう

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